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札幌地方裁判所 昭和57年(ワ)5070号 判決 1987年3月16日

原告

小島賢一

原告

小島正雄

原告

小島美枝子

右原告三名法定代理人親権者母

小島和枝

原告

小島和枝

右原告四名訴訟代理人弁護士

佐藤太勝

佐藤哲之

被告

北海道

右代表者知事

横路孝弘

右訴訟代理人弁護士

齋藤祐三

右指定代理人

島津秀嗣

外五名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告らの請求の趣旨

1  被告は、原告小島和枝に対し、一七四二万五八八七円及び内一五八四万一七一六円に対する昭和五五年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告小島賢一、同小島正雄及び同小島美枝子に対し、各一一六一万七二五八円及び内各一〇五六万一一四四円に対する昭和五五年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行の免脱宣言

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五五年一一月一日午後九時五五分頃

(二) 場所 札幌市北区篠路町字篠路三九番地一四七先国道二三一号線路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 加害車両 緊急自動車として指定を受けている警察用普通自動車(北海道警察札幌方面北警察署所属の札八八せ一七四八号。以下「本件パトカー」という。)

右運転者 当時札幌北警察所外勤課所属の巡査長佐藤繁俊(以下「佐藤」という。)

(四) 被害車両 普通貨物自動車(札四四や五七六一号。以下「小島車」という。)

右運転車 亡小島実(以下「亡小島」という。)

(五) 態様 国道二三一号線(通称石狩街道。以下「本件国道」という。)を茨戸方面から札幌方面に向けて進行していた小島車と札幌方面から茨戸方面に向けて対向車線を進行し、その前方を連続して進行していた貨物自動車三台を追い越そうとした本件パトカーとが正面衝突した。(以下「本件事故」という。)

(六) 結果 亡小島は、本件事故に起因する左胸腔内動脈損傷による二次性ショックにより即死した。

2  被告の責任原因

被告は、本件パトカーを所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条本文に基づき、本件事故によつて生じた原告らの損害を賠償する責任がある。

3  原告らの損害

(一) 亡小島の損害

(1) 逸失利益 四七五二万五一四八円

亡小島は、死亡当時三二歳であつたから、生存していれば六七歳まで三五年間稼働し、その間賃金センサス昭和五五年度産業計企業規模計第一巻第一表の男子労働者の平均年間給与額の三四〇万八八〇〇万円の収入を得ることができたはずであるから、右期間を通じて生活費として三割を控除し、新ホフマン方式により年五分の中間利息を控除して、死亡時における逸失利益を算定すると、四七五二万五一四八円{3,408,800×(1−0.3)×19.917=47,525,148}となる。

(2) 慰藉料 二〇〇〇万円

亡小島の死亡による精神的苦痛に対する慰藉料は、二〇〇〇万円が相当である。

(二) 原告らの相続

原告小島和枝(以下「原告和枝」という。)は亡小島の配偶者であり、同小島賢一(以下「原告賢一」という。)、同小島正雄(以下「原告正雄」という。)、同小島美枝子(以下「原告美枝子」という。)はいずれも亡小島の子であつて、他に相続人はいないから、亡小島の本件事故による損害賠償請求について原告和枝はその三分の一の割合に当たる二二五〇万八三八二円{}、同賢一、同正雄、同美枝子はそれぞれ九分の二の割合に当たる一五〇〇万五五八八円{}を相続した。

(三) 損害の填補

原告らは、亡小島の死亡による損害の填補として、自動車損害賠償責任保険から合計二〇〇〇万円の支払を受け、原告和枝はその三分の一に当たる六六六万六六六六円()、同賢一、同正雄、同美枝子はそれぞれ九分の二に当たる四四四万四四四四円()を各損害額に充当したので、充当後の損害額は原告和枝が一五八四万一七一六円(22,508,382−6,666,666=15,841,716)、同賢一、同正雄、同美枝子が一〇五六万一一四四円(15,005,588−4,444,444=10,561,144)となる。

(四) 弁護士費用

原告らは、それぞれ本件訴訟の提起及び遂行を原告ら訴訟代理人に委任し、同代理人との間において、弁護士費用を除いた請求金額の一割を弁護士費用として支払う旨を約しているから、原告和枝は一五八万四一七一円(15,841,716×0.1=1,584,171)、同賢一、同正雄、同美枝子はそれぞれ一〇五万六一一四円(10,561,144×0.1=1,056,114)相当の損害を受けた。

4  結論

よつて、被告に対し、本件損害賠償として、原告和枝は一七四二万五八八七円(15,841,716+1,584,171=17,425,887)及び弁護士費用を除いた内一五八四万一七一六円に対する本件事故発生の日である昭和五五年一一月一日から、原告賢一、同正雄、同美枝子は各一一六一万七二五八円(10,561,144+1,056,114=11,617,258)及び弁護士費用を除いた各内一〇五六万一一四四円に対する本件事故発生の日である昭和五五年一一月一日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

請求原因第1項(一)ないし(五)の事実は認める。

同第2項の事実のうち、被告が本件パトカーを所有し、自己のために運行の用に供していたことは認め、その余の主張は争う。

同第3項の(一)ないし(三)の事実は不知。

三  被告の抗弁

1  自賠法三条但書による免責

(一) 本件事故の状況は、以下のとおりである。

(1) 本件事故現場は、札幌市北区篠路町篠路三九番地一四七付近で、ほぼ南北に通じる本件国道二三一号線上である。本件国道の北方は札幌市北区茨戸を通り石狩町、厚田村方向に、南方は札幌市東区栄町を通り国道五号線(通称札幌新道)方向に通じている。

本件事故現場付近の国道の路面はアスファルトで舗装され直線平坦である。有効幅員は、九メートル(中央線から東側の幅員四・八メートル、西側の幅員四・二メートル)で、片側一車線で車道の左右にはそれぞれ外側線が白線で表示されており、外側線の内側は七・二メートルあり、その中央付近に白線で中央線が表示されている。

本件国道の左右には視界を妨げる工作物、障害物等はないが、夜間の照明がないため暗い場所である。

本件事故現場付近には、北海道公安委員会による最高速度五〇キロメートル毎時の規制がなされている。

本件事故当時、路面が湿潤していたため前照灯の照射はよくないが、直線道路であるので遠方に対する前照灯の確認は容易である。

(2) 札幌方面北警察署巡査長佐藤は、昭和五五年一一月一日午後九時五分ころ、本件パトカーに乗車し助手席に巡査部長杉本久米男(以下「杉本」という。)を乗せ、札幌市内で連続発生した暴力団対立抗争事件の再発防止のため、北警察署を出発して、暴力団幹部の居住する札幌市北区琴似一三条二丁目付近において張込み警戒にあたつていたところ、同日午後九時四八分ころ、北海道警察本部通信指令課と北警察署の当直司令から「緊急走行のうえ、聚富農協に臨場せよ。」との指示を受け、張込み警戒を一時中断して同農協に向つた。

佐藤は、張込み場所から札幌市北区屯田四番通り及び五番通りを経て本件国道二三一号線に向かつたが、国道に至るまでは道路幅員が狭いため緊急走行をすることができないと判断し、赤色灯のみを点灯し時速約四〇キロメートルの速度で走行し、五番通りから本件国道に通じるT字型交差点にさしかかつた。その際、佐藤は、本件国道の手前の橋の上で札幌方面から茨戸方面に向けて進行中のハイヤー一台とその前方を普通貨物自動車三台(以下ハイヤーに近い方から「最後尾パネル車」「二台目パネル車」「先頭パネル車」という。)が走行しているのを認めた。

(3) 佐藤は、T字型交差点直前でサイレンを吹鳴して、本件国道を札幌方面から茨戸方面に向けて走行しながら徐々に加速し、先行するハイヤーに接近したところ、進行車線に前記パネル車三台が走行していたが、対向車線上には何ら障害物がなかつたところから、本件パトカーの速度を時速六〇キロメートル位に加速しつつ対向車線に入り、左側に避譲したハイヤーを追越し、更に最後尾パネル車を時速七〇キロメートル位で追抜き走行した。

そして、佐藤は、二台目パネル車に並進したとき、前方約五〇〇メートルないし六〇〇メートルの地点に車の前照灯らしいものを認めたが、本件国道の状況からみて引続き先頭パネル車を追越しても自車線に進路変更ができると判断し、進路前方に注意しながら同速度のまま左側に避譲した二台目パネル車を追抜いて、先頭パネル車に接近したところ、先頭パネル車は緊急走行中の本件パトカーの接近に気がつき、進行方向左側端に避譲した。

そこで、佐藤は、本件パトカーを対向車線から左側へ寄せ、中央線をまたぐようにして先頭パネル車と並進しした際、進路前方約一三七・八メートルの地点に対向車線を進行してくる小島車の前照灯を認めた。しかし、佐藤は、対向車線上にある小島車が自車線を札幌方面に向け走行しており、本件パトカーも中央線をまたぐようにして対向車線上をかなり空けて進行していたところから、本件パトカーが小島車と接近しても同車が自車線上を安全に通過できるだけの道路幅の余裕が十分あつたこと、本件パトカーがサイレンを吹鳴し、赤色灯を点灯して緊急走行中であつたので、その前方からくる小島車が当然本件パトカーに気がつき自車線進行方向の左側に避譲しなければならないこと、経験則上小島車が避譲義務を尽くしてくれるものと信頼したことなどから、小島車との衝突の危険はないものと判断し、前方を注視しつつ進行した。

ところが、小島は飲酒によるアルコールの影響でハンドル・ブレーキ等の操作を適正に行なえないか、もしくは著しく注意力が散漫となつた状態で、小島車を運転し、時速六二ないし六七キロメートルの速度で走行し、本件パトカーとの距離が約五四・二メートルに接近したとき突然右方向(本件パトカーからみて左方向)にふくらんで中央線寄りに進入した。そのため、佐藤は、二三・八メートル手前で、本件パトカーのハンドルを左に切れば却つて小島車と衝突する状況となつたことから、危険を感じブレーキを踏みつつ衝突をさけようとしてとつさにハンドルを右に切つたが、間に合わず本件パトカーの左前部付近と小島車の前部付近とが衝突した。

(二) 本件事故は、亡小島の一方的な過失によつて発生したものであつて、佐藤には過失はない。

すなわち、佐藤の運転する本件パトカーは本件事故当時緊急走行中であり、サイレンを吹鳴し、赤色灯を点滅して走行していたものであるが、本件事故現場手前において、先行車両を追い越すために道路右側(対向車線)に進出して、まずハイヤーを追い越し、次にその前方を走行していた最後尾パネル車及び二台目パネル車を追い越し、更に先頭パネル車を追い越そうとして同車とほぼ並進状態になつたとき、対向車線を進行してくる小島車を前方一三七・八メートルの地点に認め、その後先頭パネル車が道路左側端に避譲したので、本件パトカーの進路を道路右側から中央線寄りに変更し、ほぼ中央線をまたぐような状態で進行して対向車線を小島車が安全に通過しうるように配慮した。本件国道右側の車道幅員は四・八メートル(外側線の東側一・三メートルを含む。)であり、本件パトカーの車幅は一・六九メートルであるから、本件パトカーが中央線をまたいだ状態で進行した場合、中央線から道路右側部分へのはみだしは約八〇センチメートルとなり、本件パトカーの右側にはなお約四メートルの道路幅が残されていて、小島車の車幅は一・六九メートルであるから、本件パトカーと小島車とは安全にすれ違うことが可能であつた。

緊急走行中のパトカーの運転者は、条理上、経験則上他の交通関与者の避譲を強く信頼することができるのであつて、小島車も本件パトカーの接近を容易に知り得べき状況にあつたのであるから、本件パトカーを運転していた佐藤において小島車が避譲し安全にすれ違うことが可能と判断したのは当然である。

しかるに、亡小島は、飲酒運転という法令違反を犯し、本件国道の指定制限速度である時速五〇キロメートルを超過する時速六二ないし六七キロメートルの高速で走行し、緊急走行中の本件パトカーの接近により避譲すべき注意義務があるのにこれを怠り、本件パトカーと交差する至近距離に至つて突然中央線を越えて対向車線に進出した一方的な重大な過失により本件事故を発生させたものである。

佐藤は、危険回避の措置をとつたが間に合わなかつたものであり、何らの過失はない。

(三) 被告は、本件パトカーの運行に関し注意を怠つたことがない。

本件パトカーは、昭和五一年三月五日北海道警察本部から北警察署に配置され、各種警察活動に使用されていたものである。

被告は、パトカーを運転する警察官に対する日頃の訓練のほか、パトカーの運行にあたつては、北警察署で指定する車両担当者に毎日始業点検を行わせ異常の有無を確認するなど、事故防止に関する指導、監督を十二分に尽くしていた。

又佐藤は、昭和五一年四月一日付で北警察署外勤課勤務となり、昭和五四年八月一日から同署の無線自動車警ら係として、本件パトカーのほか警察用自動車の運転に従事していたが、本件事故当日においても、本件パトカーの運転をするに際し、署前において杉本とともに制動装置、各種燈火関係、サイレン、ラジアルタイヤ等を点検して、異常のないことを確認した。

(四) 本件パトカーには構造上の欠陥又は機能上の障害はない。

本件パトカーは、前記したとおり、車両担当者が始業点検を行い、佐藤も警戒任務につく際に各種の点検を実施して異常のないことを確認しているのであつて、本件パトカーのかじ取装置及び制動装置に何ら異常のなかつたことが明白である。

2  過失相殺

仮に、佐藤に何らかの過失があるとしても、それらは亡小島の前記重大な過失に比して極めて僅少であるから、本件損害の算定に当たつては亡小島の過失を斟酌すべきである。

3  損害の填補

原告らは、自賠責保険から原告らの自認する二〇〇〇万円を含め、二〇一八万〇九六〇円の支払を受けている。

四  抗弁に対する原告らの認否並びに主張

1  抗弁事実第1項(一)(1)のうち、本件事故当時、路面が湿潤していたため前照灯の照射はよくないが、直線道路であるので遠方に対する前照灯の確認が容易であることは否認し、その余の事実は認め、(2)(3)の事実は否認する。同項(二)(三)(四)の事実は否認する。

同第2項、第3項の事実は否認する。

2  自賠法三条但書による免責の主張について

(一) 本件事故の状況は、以下のとおりである。

佐藤は、本件パトカーを運転し、本件国道を札幌方面から茨戸方面に進行し、本件事故現場に差しかかつた際、先行するハイヤーを追越し、一旦自車線内に戻り、さらに先行する最後尾パネル車、二台目パネル車を追抜き、先頭パネル車に追いつく前に減速しつつ左ウインカーを点滅させ追越しを断念し、自車線内を走行している車両の間に入ろうとする様子を示した。

亡小島は、小島車を運転し、本件国道を茨戸方面から札幌方面に向けて進行中、本件事故現場付近において、追越しを断念し自車線内に入ろうとしている本件パトカーを発見し、小島車を通過させてくれるものと判断して、中央線に寄つたままの状態で走行した。

ところが、佐藤は、小島車との距離、速度についての測定を誤まり、小島車が予想外に早く接近してきたためあわててハンドルを右に切り、小島も同じ方向に対応して正面衝突した。

(二) 佐藤には本件事故の発生につき過失がないとはいえない。

佐藤は、対向車線上を進行してきた小島車の存在に気付いていたのであるから、たとえ緊急走行中であつたとしてもその動向に十分注意し、衝突を避けるべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠り、小島車との距離、小島車の速度についての判断を誤り、更には追越しの際の常識に反し追越し完了前に減速し左ウインカーを点滅させ、追越しを断念して自車線に戻るものとの誤解を与える走行をしたために亡小島の判断を誤らせ、亡小島が本件パトカーとの衝突をその直前に回避することを不可能にさせたものであるから、過失がないということはできない。

したがつて、本件においては、亡小島の行為が過失相殺の対象となることはあつても、被告の免責は認められるべきではない。

第三  当事者の提出援用した証拠〈省略〉

理由

一事故の発生

以下の事実は当事者間に争いがない。

本件事故は、昭和五五年一一月一日午後九時五五分頃、札幌市北区篠路町字篠路三九番地一四七先国道二三一号線路上において、本件国道を茨戸方面から札幌方面に向けて進行していた亡小島の運転する小島車と札幌方面から茨戸方面に向けて対向車線を進行し、その前方を連続して進行していた貨物自動車三台を追越そうとした、当時札幌北警察署外勤課所属の巡査長佐藤の運転する本件パトカーとが正面衝突したもので、亡小島は本件事故に起因する左胸腔内動脈損傷による二次性ショックにより即死した。

二被告の責任

1  被告が本件パトカーを所有し、自己のために運行の用に供していたことは、当事者間に争いがない。

2  そこで、被告の主張する自賠法三条但書による免責の抗弁について検討する。

(一)  まず、本件事故の状況について判断する。

(1) 前記の争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定に反する証人原田弘敏の証言部分は前掲各証拠に照らしてたやすく措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(イ) 本件事故現場は、札幌市北区篠路町字篠路三九番地一四七付近で、ほぼ南北に通じる本件国道二三一号線上である。本件国道の北方は札幌市北区茨戸を通り石狩町、厚田村方面に通じ、南方は札幌市東区栄町を通り国道五号線通称札幌新道方面に通じている。

本件事故現場付近の本件国道の路面はアスファルトで舗装され、直線平坦である。有効幅員は約九・〇メートル(中央線から東側の幅員四・八メートル、西側の幅員四・二メートル)、片側一車線で、車道の左右にはそれぞれ外側線が白線で表示されており、外側線の内側は約七・二メートルあり、その中央付近に白線で中央線が表示されている。

道路の左右には視界を妨げる設置物、障害物はないが、夜間は照明がないために暗い。

制限最高速度は時速五〇キロメートルに指定されている(以上の事実は、当事者間に争いがない。)。

本件事故発生時である昭和五五年一一月一日午後九時五五分頃は、天候は曇りであつたが、雨上がりで路面は湿潤していた。そのため、前照灯の照射はよくなかつたが、対向車両の前照灯はかなり遠くから確認できる状態にあつた。

(ロ) 札幌方面北警察署の巡査長佐藤は、本件事故当日の午後九時頃から、本件パトカーに乗車し、巡査長杉本を助手席に乗せて札幌市北区新琴似の暴力団幹部宅の周辺の張り込み警戒にあたつていたが、北海道警察本部通信指令課より「望来の聚富農協で非常ベルの送信あり、最寄りのパトカーは現場に急行せよ。」との無線指令を認知し、北警察署に連絡したところ緊急走行のうえ現場臨場せよとの指示を受けたことから、九時四九分頃、本件パトカー(車体の幅一・六九メートル)を運転して聚富農協へ向かつた。

佐藤らは、北区屯田四番通り、五番通りを経て本件国道へと向かつたが、国道に至るまでは道幅が狭かつたために緊急走行はできないと判断し、サイレンを吹鳴させず、赤色灯のみを点灯させて走行し、屯田五番通りから本件国道に通じるT字型交差点にさしかかつた付近でサイレンを吹鳴させ、T字型交差点を茨戸方向に向け左折して本件国道に入つた。

(ハ) 佐藤は、本件パトカーの前方には原田弘敏の運転するハイヤー一台が走行し、更にその前方にはパネル車三台がそれぞれ時速約四五キロメートルの速度で走行しているのをT字型交差点の手前で認めていた。佐藤は、本件国道に入つてからは徐々に本件パトカーを加速させ、対向車線に出て、まずハイヤーを追い越し、最後尾パネル車に接近し、その際若干本件パトカーを自車線側に寄せてから、再び完全に対向車線に出て、時速約七〇キロメートルまで加速して高元信幸の運転する最後尾パネル車を追い抜き、高元忠幸の運転する二台目パネル車に並んだ。高元忠幸は、本件パトカーが後方から接近してくるのを認識し、本件パトカーに進路を譲り、自車を道路左端に寄せ、佐藤も本件パトカーを左側に寄せ両車間の間隔は相当接近していた。

佐藤及び杉本は、二台目パネル車に接近し、並びかけたころ、対向車線上の前方に小島車(車体の幅一・六九メートル)の前照灯を認めたが、小島車とすれ違うまでに更に先頭パネル車を追い越して自車線に戻れると判断した。そして、佐藤は、時速約七〇キロメートルの速度で二台目パネル車を追い越し、更にそのまま先頭パネル車に接近したが、その際、先頭パネル車も本件パトカーが接近してくるのを認識して道路左側に避譲するであろうし、パトカーも中央線寄りに寄つていたので対向車線には車両一台が通過できる余裕があり、小島車も当然本件パトカーの存在に気がつくはずであるからたとえ先頭パネル車、本件パトカー、対向車線を進行してきた小島車の三台が並んですれ違うことになつても衝突の危険はないものと判断した。先頭パネル車を運転していた高元秀幸は、本件パトカーが後方から接近してくるのを認識し、前方には小島車の存在を認識していたから、本件パトカーに進路を譲り自車を道路左端に寄せた。

佐藤は、先頭パネル車に並びかけた後は、小島車と安全にすれ違うためには減速したほうが良いと判断して徐々に減速するとともに、本件パトカーを先頭パネル車に沿うようにして更に道路左側に寄せて進行させ、本件パトカーが先頭パネル車と並んだ状態になつたとき両車間の距離は相当に接近し、本件パトカーは中央線をまたぎ、中央線から対向車線寄りに五〇センチメートルくらいはみでた状態で進行した。ところで、本件パトカーが先頭パネル車に並びかけた際、本件パトカーに同乗していた杉本は、小島車が意外に早く接近してきており、又、対向車線の左側に寄ろうとする様子もなかつたことから、瞬間的に変だなとの感を抱いた。

そして、佐藤は、本件パトカーと小島車との距離が約五四・三メートルになつた地点で、小島車が急に進路を右方向に変え本件パトカーの進行方向に向かつてきたのを認めて危険を感じ、小島車との距離が約二三・八メートルになつた地点で急ブレーキを踏みとつさにハンドルを右に切つたものの、ブレーキはほとんど作動しないまま中央線上付近で小島車と衝突した。

(ニ) 衝突時の両車の衝突の角度は、本件パトカーが中央線を基準として右向きに一五ないし二〇度で、小島車も中央線を基準として右向きに〇ないし一〇度であり、衝突直前の両者の速度は本件パトカーが時速五〇・四ないし五四・一キロメートルで、小島車が時速六二・三ないし六七・三キロメートルであつた。

(2) 〈証拠〉によれば、亡小島の死体から採取した血液からは濃度〇・一七パーセントのアルコール(血液一ミリリットル中に一・七ミリグラムのアルコールを含有する。)が検出されたこと、一般に血中濃度〇・一五ないし〇・二五パーセントの状態においては注意散漫となり、判断能力が鈍ることが認められるから、亡小島はアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で小島車を運転していたものと認められる。

(二)  そこで、本件事故は、亡小島の一方的な過失により発生したもので、佐藤には過失がないかどうかについて判断する。

(1)  本件パトカーを運転していた佐藤にはたとえ緊急走行中ではあつても、絶えず前方を注視し対向車との衝突事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるものというべきであるが、緊急走行中のパトカーに関しては、道路交通法三九条一項により緊急自動車は追越しをするためその他やむを得ない必要があるときは道路の右側部分にその全部又は一部をはみ出して通行することができるとされており、また、同法四〇条二項により交差点又はその付近以外の場所において緊急自動車が接近してきたときは、車両は道路の左側に寄つてこれに進路を譲らなければならないとされている。前記認定の事実によれば、佐藤の運転する本件パトカーが先頭パネル車と並んだころ、本件パトカーは中央線をまたぎ、対向車線に五〇センチメートルくらいはみでた状態で進行していたものであり、対向車線にはなお四メートル余りの幅員が残されていたのであつて、小島車の車幅は一・六九メートルであるから小島車が対向車線を通過しうるだけの十分な余裕があつたものということができ、本件パトカーはサイレンを吹鳴し、赤色灯を点灯して走行していたのであるから、対向車線を走行してきた小島車を運転していた亡小島としても当然に緊急走行中の本件パトカーの存在を認識しうるはずであり、佐藤が先頭パネル車、本件パトカー、小島車の三台が並んだ状態ですれ違うことになつても衝突の危険はないものと判断して、本件パトカーを本件国道の中央線をまたいだ状態で進行させたことは、道路交通法で優先通行を認められている緊急走行中のパトカー運転手の判断としては何らの過失もなかつたものというべきである。また、佐藤は、本件パトカーと小島車との距離が約五四・三メートルになつた地点で小島車が急に進路を右方向に変え本件パトカーの進行方向に向かつてきたのを認めて危険を感じ、小島車との距離が約二三・八メートルになつた地点で急ブレーキを踏みとつさにハンドルを右に切つたものであるが、小島車が急に進路を右方向に変え本件パトカーの進行方向に向かつてきたのを認めた時点以降に本件事故を回避しうる措置はとりえなかつたものというべきであるから、右時点以降の佐藤の行為についても過失はなかつたものというべきである。

他方、亡小島には、本件事故現場に至るに際して、制限速度を遵守するとともに、絶えず前方を注視し、緊急自動車が接近してくるのを認めた場合には道路の左側に寄つてこれに進路を譲らなければならない自動車運転者としての基本的な注意義務があるというべきところ、前記認定事実によれば、小島車は本件国道の制限最高速度を超過する時速約六二・三ないし六七・三キロメートルの高速で走行し、緊急走行中の本件パトカーが接近してきたにもかかわらず道路の左側に寄つてこれに進路を譲る等の措置を取らず、かえつて本件パトカーと至近距離に接近した地点で急に進路を右方向に変えて本件パトカーの進行方向に向かつてきたものであり、小島車がこのような走行をした原因は酒酔い運転のため正常な判断ができなかつたことにあるものと推認されるのであつて、本件事故は専ら亡小島の過失により発生したものであるということができる。

(2) 原告らは、佐藤が小島車との距離、小島車の速度についての判断を誤つたこと、追越し完了前に減速し、左ウインカーを点滅させ、追越しを断念して自車線に戻るものとの誤解を与える走行をして亡小島の判断を誤らせたことが本件事故の一因をなしていると主張しているので、この点についての判断を示す。

前記のとおり、佐藤は、二台目パネル車に接近し並びかけたところ、対向車線上の前方に小島車の前照灯を認めたが、その時は小島車とすれ違うまでに更に先頭パネル車を追い越して自車線に戻れると思つたことが認められる。又、成立に争いのない乙第二一号証(佐藤繁俊の司法警察員に対する供述調書謄本)及び証人佐藤繁俊の証言中には、二台目パネル車に接近し並びかけたころ、対向車線上の前方約五〇〇ないし六〇〇メートルの地点に小島車の前照灯らしきものを認めたとの供述部分があるが、前掲乙第三号証によれば、本件パトカーが二台目パネル車に接近し、並びかけた地点と本件事故現場との距離は約一五二・七メートルであることが認められ、その時点以後本件パトカーが衝突するまでの間平均時速約六〇キロメートルで進行し、他方小島車が、前記認定の衝突直前の速度の範囲のうち最も高速の時速約六七キロメートルで進行したものとして、佐藤が小島車の前照灯らしきものを認めた地点での本件パトカーと小島車との距離を概算すれば約三二〇メートルとなるから、対向車線上の前方約五〇〇ないし六〇〇メートルの地点に小島車の前照灯らしきものを認めたとの前記供述中の両車間の距離の表現部分は必ずしも実際の距離とは合致してはいないことも認められる。しかし、前記認定のとおり、佐藤は小島車の前照灯を認め、そのまま先頭パネル車に接近した際、たとえ先頭パネル車、本件パトカー、対向車線を進行してきた小島車の三台がすれ違うことになつても衝突の危険はないものと判断して進行し、先頭パネル車に並びかけた後は小島車と安全にすれ違うためには減速したほうがよいと判断して追越し完了前に減速したこと、そして、小島車が対向車線を通過しうるだけの十分の余裕があつたことを認めることができるから、佐藤の右判断には何ら過失がなかつたものということができる。したがつて、右判断時よりも前の時点における小島車の走行状況に関する佐藤の認識、判断が本件事故についての佐藤の過失を構成するものということはできないし、又、追越しの際に本件パトカーのウインカーを点滅させた佐藤の行為があつたとしても、それが佐藤の過失を構成するものということもできない。

(三)  そして、前記認定事実によれば、本件事故が本件パトカーの運行に関する被告の注意懈怠の有無、本件パトカーの構造上の欠陥、機能上の障害の有無とは関係なく発生したものであることは明らかであるから、被告には自賠法三条但書に規定する免責事由があるものということができるのであつて、運行供用者として本件事故により生じた原告らの損害を賠償する責任はないというほかはない。

三結論

よつて、原告らの本件各請求は、その余の点につき判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福永政彦 裁判官持本健司 裁判官峯 俊之)

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